ラオス旅行 7日目(09/10) 21663歩

3時頃から目が覚めてシャワーに入ったり本「ルネサンスとは何であったのか/塩野七生」を読んだり。
5時過ぎ、メコン川の日の出を見るために出掛ける。宿から2〜3分歩くと川縁なのでそこで日の出を待つ。少しずつ街がざわざわ。顔の認識が出来るくらいの明るさになる5時半には鐘が鳴り始めて鶏もなく。これは托鉢出発の合図なのかな?5時50分すっかり明るくなる。

ひとしきり日の出を見たあと、托鉢を見学しに通りへもどる。
宿を出てすぐに声をかけてきた托鉢用の食事を売るひとが、つかさず近づいてきて逃げ切れない。
喜捨…恥ずかしいし、お金もないし…と逃げようとしても、全く引き下がらず強引に托鉢コースに連れて行かれる。妙な恥ずかしさに包まれたまま、喜捨の列に加わり見様見真似で参加。手渡された喜捨用の米は、あっという間に底をつくしお坊さんは沢山並んでいるしどうしたら?と、ないスペースで後ろに下がってみたり立ったり座ったり…周りの人たちはなくならないお米の量・種類を準備していた。よく見ると喜捨するものが無くなった人もいて…拝んでるーーー。私も真似して拝んだ。

喜捨の後は朝市や寺院をぶらぶら。宿に戻ってフルーツヨーグルト・コーヒーを飲み、部屋に戻って昨日買ったチキン入りクロワッサンを食べる。そんなにおいしくない。パンがあんまり美味しくないんだな。そして牛乳はやっぱりへんな甘味があって飲みきれなかった。荷物を宿に預けて、再び朝市へ。朝市にはいなご・もぐら・なまずみたいなものとか、よくわからないものがいろいろある。

続いて地元民が通うポーシー市場へ20分位歩く。市場には肉・魚・野菜、そのほか日用品も地元民価格で売られていて賑わっていて面白い。10時半にはトイレを借りがてらJOMAで休憩、ミックスジュースを飲む。この頃になるとややお腹が緩くなっていた。あと1時間半でルアンパバーンともお別れ。

最後はやっぱりメコン川だなーと思ってまた川縁へ。船着場に子供から大人まで20人くらいが1.5×1.8m位のエンジンらしきものを船に乗せようと作業が始まるところだった。そして荷物を乗せるまで30分以上、ずっとこの工程を見て楽しむことになる。途中からはおじさんたちが進行状況をアピールしてくれて人事とは思えない。宿に戻る際には、昨日お世話になった船頭のおじさんにも会う事ができた。

宿に戻ると、宿の人に空港までトゥクトゥクより宿のマイクロバスのほうが安いから乗ってけといわれる。ぎりぎり間に合うだろうと判断して利用することにした。でもこれが待っているとなかなか来なくてちょっとどきどき。空港でチェックインすると“遅い”って怒られた。
そういえば宿を出がけにMTVで少女時代のTAXIが流れていた。今回の旅行中脳内ヘビロテ曲だったので“もう旅行も終わりなんだなー”とへんな感慨を覚える。

飛行機でルアンパバーンからビエンチャンへ移動。
あと半日くらいラオスでの滞在時間があるので街中に移動して過ごす。
ヨーガンレール関係のお店ラハってところを覗く、ストールとか素敵だった。ビエンチャンには日本人のおしゃれな若者達(例えると瑛太みたいな)が至る所にいて若干疎外感。メインの通りを外れて花屋をみたりラーメンを食べたりする。
ビエンチャンに戻ってみて、思い切り観光地ではあるけど今回はルアンパバーンに行ってよかったなと思った。

ラオスでの最後の一食を何にするか悩みつつ、結局ビールを買って川縁へ。ビエンチャンの川縁は健全な雰囲気が漂っている。公園内なのでビールが禁止なのか?通り過ぎる人には、まじまじとビールを見られる。そんな浮いた感じで佇んでいると日本人大学生が声をかけてきたのでちょっと話す。この大学生はバンコクからベトナムカンボジアへ向かい南下中とのことで、私がこれまでイメージしていた通りの学生旅行者。こんな子もまだいるんだな〜とホッとした。

飛行機に乗り遅れないように早めに空港へ向かう。途中、交通事故での渋滞もあって空港へ着いた頃にはチェックインカウンターも滞っていた。タイでの乗り換え時間が1時間しかないのに、1時間遅れで離陸。1時間のフライトで機内食があって取りあえず食べる。
タイに到着すると24時。「NARITA〜NARITA〜」って空港の人が叫んでいて乗り継ぎのある日本人6名が揃ったところでその先導者は搭乗口へ向かい走り出した。かなりの距離。途中まで6名中3位だったけど、途中から先導者が「真っ直ぐ走れ!」と言い残し消え、トップランナーがコースを間違えていたことに気づき大幅なコース延長…どんどん順位を落とし6位に転落した。荷物を預けず持っていた(リュックを背負っていた)こと・6名のなかでは断トツの最年長であったことを考えると健闘したと思う。
そんな感じで成田までの機内では熟睡できた。

あんなに全力疾走したのは何年ぶりだろう。